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今思うこと


娘は2020年4月に保育園に入園する予定でしたが、緊急事態宣言が発令され2ヶ月間休園となった。6月から登園出来ましたが感染が心配だからと9月中旬まで育児休業を延長した。慣らし保育が終わり9月末に職場復帰した2〜3日後位だったと思う、夫のガンの転移が発覚した。そこからすぐに大変な手術をしたり抗がん剤治療が始まったり、入退院など目まぐるしい日々が5ヶ月半続いた。

育児休業中は初めての子育てできちんと子どもを育てないといけないという使命感がありながらも当時は何てことない平凡な日々を過ごしていたけど、今になって思うのよ。この長い育児休業中は夫とゆっくり過ごす最後の時間でもあったんだなと感じるの。本当にね。

「ママ」か「おかあさん」か


昔から自分が母親になったら子どもには「おかあさん」と呼ばせたいと思ってた。理由は母親になった自分は「ママ」というイメージではないから。私自身が母を「おかあさん」と呼んでいたからかもしれない。人それぞれ考え方があるため「ママ」呼びを否定するわけではないです。私の記憶が合っていれば確か夫は「パパママ」呼びだった気がするから、もしかしたら夫は「パパ」って呼んでほしかったかもしれない。「おとうさん」ではなく「パパ」なら夫が亡くなる前に娘も呼ぶことが出来たかもしれないと思うとね、後悔している。何度も何度もおとうさんと伝えたけど娘が言葉にするには難しかった。夫は私の意見を尊重してくれていたと思うが、別に呼び方を揃えなくても母親「おかあさん」父親「パパ」でも良かったんだよな。

今の時代は「パパママ」呼びが主流。超主流。この前公園で一緒に遊んでくれたお友達のママさんから「おかあさん呼びなんですね」と言われたのには驚いたけどそれくらい「おかあさん」呼びは少数派なのかもしれません。確かに保育園でも認識している限り「おかあさん」呼びは我が家を含めてクラスで2人。

保育園に娘を迎えに行くと保育士さんも「ママ来たよ〜」と言われる。娘は合わせて「ママ〜」と言うけど私の近くに来ると「おかーしゃん」と呼び抱っこをせがむ。使い分け上手。

娘はもちろんはじめはきちんと呼ぶことが出来ず「あーしゃん」とかだったのかな。今は「おかーしゃん」。もうね、このうまく言えてない呼び方がまた可愛らしいのよ。「おかーしゃん、おかーしゃん」とか2回言われるとたまらないね。いつかきちんと「おかあさん」と言える日がくるだろうけど、それまでこの呼び方の過程を楽しみます。おかあさん呼びで良かった思うところ。

あんくんが夢に出てきたよ


今朝二人の友人から「あんくん(夫)が夢に出てきたよ!」と連絡が来ました。たまにこういう連絡をもらうことがあるんだけど、二人同時は今までなかったので驚きました。一人は一緒に倉庫で探しものをして、一人は一緒に旅行をした夢だと話していました。夢で友人達に会いに行ってるんだなぁと思ったのよ。我が家には来ませんでした、というのも昨夜は珍しく夜更しして撮影した写真のレタッチを楽しみました。遅くに寝たので夢を見る間もありませんでした。そして今日の写真はレタッチほやほや、いつも行くお気に入りの公園は桜でいっぱいでしたよ。桜を見ると一昨年満開の桜が咲く中で夫が娘を抱っこして撮った写真を撮ったことを思い出すなぁ。

やってはいけないこと


切ない音楽を聴いて夫を思い出して大泣きながら通勤したことも多々あるんですけどね、今でもたまにあるんだけどそんな時によく思い出す夫の言葉。「人通りが多い場所で落ち込んだ気持ちでは歩いてはいけないよ」と。たくさんの人々が行き交う場所で落ち込んだ気持ちで歩いているとへんなものが憑いてきちゃうんだよと。ほほう。納得。花火大会やライブ会場など人が多くて集まる場所には人以外にも色んなものが集まるというのは聞いたことがある。だからへんなものがいてもおかしくないよね。うんうん。寂しくて涙が出てしまう時はどうにも止められないけど、「今は少し寂しくなってるけど私は元気なんだからね!」と心から悲しくならないように気を付けているのです。

50歳と夫に会える場所


夫は1月であの世で50歳になった(いや、ちょっと違うでしょ?ってつっこみは置いておいてね)。新日本プロレスやモスバーガーも50歳。大好きな人達が50歳を迎えている。
この前ちょっと寂しくなって夫のブログを読み返したのよ。夫はこの世にはもういないけど、そこには夫が元気に生きてるのよ。不思議だね、面白いね。読んでいて私も元気になったよ。ブログは夫に会える場所。

夫関連の内容を立て続けに書いているので「大丈夫?」と心配される方もいらっしゃるかもしれませんが、私は毎日元気に育児に仕事に追われております。ご安心下さい。

夫からの伝言


2月11日に停電とともにエアコン2台と冷蔵庫が壊れてしまった。電力会社に確認に来てもらったところエアコンの漏電が原因。管理会社に連絡してエアコンの状況確認の手配をしてもらった。後日確認してもらいそして新しいエアコンに交換することになった。1週間弱寒くなるところだったがママ友がヒーターを貸してくれて助かった。冷蔵庫は16〜18年使用していたようでいつ壊れてもおかしくなかった。おそらく停電でいきなり電源が切れて壊れてしまった模様。翌日土曜日は仕事を休み冷蔵庫を購入と翌日手配に間に合った。そして月末にはマンション内の色々なものの交換工事もあった。

夫の命日前は気持ちがグダグダすることが多かったけど、もうそうも言っていられない事態が次々と起こったのだ。今まで家族や親しい友人しか家には入ったことがないのに外部の人がこんな短期間でやってくることってあるの?と。

そう、そして思ったの。夫が亡くなって1年間はなんとか毎日を過ごすこと、やらなくてもよさそうなことや出来ないことは後回しにしてきた。停滞してたよね。でももう1年経ったんだからそろそろ動き出したらどうかな?片付けをしたり荷物を整理したり今までやってこなかったことに目を向けてみたらどう?って言われているみたいな気がするの。もちろん焦らなくていいよって。「もう1年」なのか「まだ1年」なのかそのへんは正直よく分からない。でもそろそろ動き出さないと、とあの世から言われてる気がするんです、いや言ってるねこれは。少しずつ動いていこうと始めていこうと思ってる。

夫の命日


昨日は気のいい花屋さんでスイトピーを購入し、遺影の横に飾りました。なんでしょうね、朝も夕方も夜も泣いて泣きすぎて頭が痛くて気持ち悪くてなかなか寝付けなかったけど、頭痛役も飲みいつの間にかすーっと寝れました。良かった。
 
今日は夫の命日でした。
1年前の今日の事はよく覚えていません。その日になんとなく携帯電話の着信音を娘が好きな幼児番組で流れていた歌に設定していました。夜中に病院らしき番号から電話がありドキッとしたけどその歌で少し気持ちが紛れました。意識がなくなってきているというような内容の電話でした。急いで大泣きする娘を抱っこし母と3人でタクシーで病院へ向かい、お義姉さんと合流。これが最期になるかもしれません、でもコロナ禍なので1人5分しか会えませんと。1人ずつ病室へ入って話す。終わったら帰される。こんな大事な時でも一緒にいることも出来ないのかよと。仕方ないからまたタクシーで帰宅し眠りについたところで明け方にまた病院から電話があり最期を見届けにまた娘を起こして母と3人でタクシーで病院へ行き、またお義姉さんと合流。大勢ではダメと言われ私と娘二人で最期を見届けました。涙は出ませんでした。悲しかったけれどこれが現実なのか?でも現実はこれから何をしていいか分からない大変であろう事をたくさんやらないといけないというプレッシャーもあったような気がします。それから荷物をまとめたり死亡届をもらったり、最後は霊安室に行きました。霊安室で宙を見上げて「どこにいるの?」と言ったりしてました。だってあの夫のことだから近くにいるでしょ?みたいな(笑)自分がしっかりしなくてはいけない、そんな気持ちが強かったかな。それから夫のことはお義姉さんにお任せし一緒に実家に帰ってもらい、私は娘と母と一緒に荷物を持って帰宅。その後のことははっきりは覚えていません。娘を寝かしつけたり区役所に相談に行ったり友人達に連絡をしたり、保育園に行ったり。朝から大雨だったのに夕方には晴れて虹が出ていたことははっきり覚えてます。そんな1日でした。

コロナ禍なので通勤している私と保育園に通っている娘が義父母にうつしてしまう可能性もあったので一周忌の法要は先々週に義父母とお義姉さんにお願いし無事終えました。ありがとうございます。

今日は仕事は休みました。本当ならお墓参りに行ったりゆっくり過ごすはずでしたが、色々と予定を入れてしまいまして。朝から娘の歯医者、壊れたエアコン修理(この話はまた後日)、私の歯医者と慢性上咽頭炎の治療(内視鏡)。2台あるエアコンを後日新しいものに交換することになりあれこれ片付けをしていました。これが終わらない、片付けが苦手な私には手に負えない、けどやらないといけない。そんなこんなで1日が終わりました。そうそう、娘の歯医者が終わってそのまま保育園に行ったのですがイヤイヤの娘は「きょうはほいくえんいかないよ?」と言い始めてさらには「せんせいいやだ、だいきらい、〇〇くん(大好きなお友達)だいきらい」と自転車で大騒ぎ。保育園に到着して抱っこでお部屋の前まで連れて行ったらお友達がたくさん。娘が嬉しそうな顔をして目が輝いているのが分かりました。いつも朝早いからあまりお友達いないもんね。お部屋から「〇〇ちゃん(娘の名前)がきたー!〇〇ちゃんのママ!」と3人のお友達が迎えに来てくれました。嬉しいね、良かったね。娘にとって保育園は無くてはならない大事な場所だと再認識しました。娘はどんどん成長しております。今後お父さんのことをどうやって伝えようかということも考えなくてはいけない。

この1年があっという間だったのか何なのか分かりません。家族や友人や同僚たちがいつも助けてくれたからここまでやってこれたと思っています。お供物、お花、メッセージ、お手紙、娘にアンパンマングッズのプレゼントして下さったりと今日の事を覚えてて下さる方々がたくさんいていい供養になっていると思います。ありがとうございます。本当に感謝の1年でした。これからもたくさん頼って迷惑を掛けて行く予定ですので、今後とも娘と私をよろしくお願いいたします。

たくさん泣いてしまったけれど、お義姉さんから「弟は泣いているよりも笑っていてほしいと思ってるよ」と。確かに夫なら絶対にそう言うはずです。久しぶりに夫とのメッセージのやりとりを見直したら朝から「今日も元気に楽しく過ごそう」というような内容を見つけました。そうだよ、そういう事を言ってくれる人だよ。夫は亡くなっても私の支えになってくれるているのだ。また明日から笑顔で楽しく過ごそう。そうしよう。

夫のこと


昨年の2月12日のこと。午後半休を取って夫が入院している病院へ行った。その週は役所に介護保険の申請に行ったり、夫が青森で飲んだ搾りたてのりんごジュースが飲みたいと言っていたので果汁100%のジュースを大量に買っていて「買いすぎだ」というような顔をされていたりした。確かに重たかった。やりすぎた。病院にはコロナ感染者が増えているから来ないでくれと言われていた。そんな中、介護保険申請の調査は区役所の気遣いで病院に許可を得て同席させてもらえることになった。それが2月12日(金)だった。

病院へ行く時は夫に会える嬉しい気持ちがある。行くたびに帰りは泣きながら帰ることが増えてきた。病院に到着し部屋の外で待っていたらドアが空いていた。夫がいたけどなんというか歩くのも大変そうで。しばらく外から見ていた。看護師さんが話しかけてきて夫の体調を説明してくれた。日に日に悪くなっていることは夫を見た瞬間理解した。看護師さんは少し涙目だった。

部屋に入って夫はベッドに横になっていた。夫が「見てビックリしたでしょ?」って。私は「友人に77歳まで生きるよ、って言われたでしょ?」と伝えるのが精一杯だった。

必要な話と持ち帰る荷物の話をした。話すことも不自由なので本当に最低限だ。会社の手続きの話とかしてて「みんないるから大事だからだよ」と。夫は「いつもありがとう」と。

そして車椅子に乗ったのかな。脚も浮腫んでいて洗面器で温めてもらっていた。とにかく辛そうだった。そして「肩揉んで」と言われて揉んだけど多分上手くできなくて途中で止めた。夫が車椅子に座って私が後ろにいてしばらくぼーっとしてた。しばらくすると介護保険の調査員がやってきた。少し話していたら夫が手振りとともに「掛けてください」と立っている調査員の後ろにある椅子に座って下さいと言ったのだ。自分が大変な状況なのにそんな気遣いが出来るのか。驚いた。私なら出来ない、そんなことすら思い付かない。私が言うべきだったのかもしれない。

調査員の質問に答えたり看護師さんが答えたりもしていた。調査が終わってから病院の地域連携室の方と相談、さらに帰りに区役所に必要書類をもらいに行く予定だったので、夫に「じゃあ行ってくるね!また会いに来るからね!」と元気に言った。握手した。部屋に入ってからずっと元気に話さなきゃとふり絞って出した言葉でした。夫は「急がなくていいからね、気を付けてね」と。心配性の夫らしい声かけ。看護師さんからは「奥さんに優しいですね〜(笑)」なんて言われててね。部屋を出た瞬間、私は泣き崩れてしまった。部屋の中で泣かなくて良かった。我慢できた。一緒に付き添ってくれていた看護師さんが優しく声をかけてくれた。そして気を遣って普段使用しない別の通路で案内してくれた。これが夫と話した最期の会話。

ここまで思い出して書いてたんだけどね、通勤中の電車で。人目気にせずぼろ泣きながら思い出して書いたよ。夫は自分がものすごく辛いのに人を気遣える素晴らしい人だったってことです。すごいよ、夫。本当に尊敬している。

同情してほしいとかそういうことではありません。これはあくまでも記録です。この話はまた後日追記したりするかも。

明日は命日。涙が止まらん。娘がとなりで「おかーしゃーん」って寝言言ってる(笑)

娘の「ありがとう」から感じる事


今でも娘の「おかあしゃん、ありがとう」はしばしば言われているんだけどね。それで感じた事がある。夫はちょっとしたことでも「ありがとう」を伝えてくれる人でした。「ご飯を炊いてくれてありがとう」「お風呂を洗ってくれてありがとう」。娘が「ありがとう」を言うたびに夫が言っているように聞こえてきます。「くみ、ありがとう」って言っている気がする。

結婚6周年


2022年になった。そして今日はイッテンヨン。新日本プロレスのイッテンヨンの大会の日であり、夫と私の結婚記念日でもあります。1年前の夫は相当辛かったのと思う。早く元気になって私と一緒にプロレス観に行かないとってブログに書いていた時期。年明けから暗いことは言いたくないんだけど、今の気持ちを残すために書くよ。命日が近づくにつれ当時のことを思い出しては辛くなるのよ。気持ちが重たくなるのよ。泣いちゃうのよ。実際に辛かったのは夫自身だったんだけどね。家も片付かなくて片付けが下手くそでそんなにご飯も作れなくて夫はあの世からどう思ってるのかな。もっと頑張らないといけないよなぁ。今年もよろしくお願いします。