Monthly Archives: 2月 2022

夫の命日


昨日は気のいい花屋さんでスイトピーを購入し、遺影の横に飾りました。なんでしょうね、朝も夕方も夜も泣いて泣きすぎて頭が痛くて気持ち悪くてなかなか寝付けなかったけど、頭痛役も飲みいつの間にかすーっと寝れました。良かった。
 
今日は夫の命日でした。
1年前の今日の事はよく覚えていません。その日になんとなく携帯電話の着信音を娘が好きな幼児番組で流れていた歌に設定していました。夜中に病院らしき番号から電話がありドキッとしたけどその歌で少し気持ちが紛れました。意識がなくなってきているというような内容の電話でした。急いで大泣きする娘を抱っこし母と3人でタクシーで病院へ向かい、お義姉さんと合流。これが最期になるかもしれません、でもコロナ禍なので1人5分しか会えませんと。1人ずつ病室へ入って話す。終わったら帰される。こんな大事な時でも一緒にいることも出来ないのかよと。仕方ないからまたタクシーで帰宅し眠りについたところで明け方にまた病院から電話があり最期を見届けにまた娘を起こして母と3人でタクシーで病院へ行き、またお義姉さんと合流。大勢ではダメと言われ私と娘二人で最期を見届けました。涙は出ませんでした。悲しかったけれどこれが現実なのか?でも現実はこれから何をしていいか分からない大変であろう事をたくさんやらないといけないというプレッシャーもあったような気がします。それから荷物をまとめたり死亡届をもらったり、最後は霊安室に行きました。霊安室で宙を見上げて「どこにいるの?」と言ったりしてました。だってあの夫のことだから近くにいるでしょ?みたいな(笑)自分がしっかりしなくてはいけない、そんな気持ちが強かったかな。それから夫のことはお義姉さんにお任せし一緒に実家に帰ってもらい、私は娘と母と一緒に荷物を持って帰宅。その後のことははっきりは覚えていません。娘を寝かしつけたり区役所に相談に行ったり友人達に連絡をしたり、保育園に行ったり。朝から大雨だったのに夕方には晴れて虹が出ていたことははっきり覚えてます。そんな1日でした。

コロナ禍なので通勤している私と保育園に通っている娘が義父母にうつしてしまう可能性もあったので一周忌の法要は先々週に義父母とお義姉さんにお願いし無事終えました。ありがとうございます。

今日は仕事は休みました。本当ならお墓参りに行ったりゆっくり過ごすはずでしたが、色々と予定を入れてしまいまして。朝から娘の歯医者、壊れたエアコン修理(この話はまた後日)、私の歯医者と慢性上咽頭炎の治療(内視鏡)。2台あるエアコンを後日新しいものに交換することになりあれこれ片付けをしていました。これが終わらない、片付けが苦手な私には手に負えない、けどやらないといけない。そんなこんなで1日が終わりました。そうそう、娘の歯医者が終わってそのまま保育園に行ったのですがイヤイヤの娘は「きょうはほいくえんいかないよ?」と言い始めてさらには「せんせいいやだ、だいきらい、〇〇くん(大好きなお友達)だいきらい」と自転車で大騒ぎ。保育園に到着して抱っこでお部屋の前まで連れて行ったらお友達がたくさん。娘が嬉しそうな顔をして目が輝いているのが分かりました。いつも朝早いからあまりお友達いないもんね。お部屋から「〇〇ちゃん(娘の名前)がきたー!〇〇ちゃんのママ!」と3人のお友達が迎えに来てくれました。嬉しいね、良かったね。娘にとって保育園は無くてはならない大事な場所だと再認識しました。娘はどんどん成長しております。今後お父さんのことをどうやって伝えようかということも考えなくてはいけない。

この1年があっという間だったのか何なのか分かりません。家族や友人や同僚たちがいつも助けてくれたからここまでやってこれたと思っています。お供物、お花、メッセージ、お手紙、娘にアンパンマングッズのプレゼントして下さったりと今日の事を覚えてて下さる方々がたくさんいていい供養になっていると思います。ありがとうございます。本当に感謝の1年でした。これからもたくさん頼って迷惑を掛けて行く予定ですので、今後とも娘と私をよろしくお願いいたします。

たくさん泣いてしまったけれど、お義姉さんから「弟は泣いているよりも笑っていてほしいと思ってるよ」と。確かに夫なら絶対にそう言うはずです。久しぶりに夫とのメッセージのやりとりを見直したら朝から「今日も元気に楽しく過ごそう」というような内容を見つけました。そうだよ、そういう事を言ってくれる人だよ。夫は亡くなっても私の支えになってくれるているのだ。また明日から笑顔で楽しく過ごそう。そうしよう。

夫のこと


昨年の2月12日のこと。午後半休を取って夫が入院している病院へ行った。その週は役所に介護保険の申請に行ったり、夫が青森で飲んだ搾りたてのりんごジュースが飲みたいと言っていたので果汁100%のジュースを大量に買っていて「買いすぎだ」というような顔をされていたりした。確かに重たかった。やりすぎた。病院にはコロナ感染者が増えているから来ないでくれと言われていた。そんな中、介護保険申請の調査は区役所の気遣いで病院に許可を得て同席させてもらえることになった。それが2月12日(金)だった。

病院へ行く時は夫に会える嬉しい気持ちがある。行くたびに帰りは泣きながら帰ることが増えてきた。病院に到着し部屋の外で待っていたらドアが空いていた。夫がいたけどなんというか歩くのも大変そうで。しばらく外から見ていた。看護師さんが話しかけてきて夫の体調を説明してくれた。日に日に悪くなっていることは夫を見た瞬間理解した。看護師さんは少し涙目だった。

部屋に入って夫はベッドに横になっていた。夫が「見てビックリしたでしょ?」って。私は「友人に77歳まで生きるよ、って言われたでしょ?」と伝えるのが精一杯だった。

必要な話と持ち帰る荷物の話をした。話すことも不自由なので本当に最低限だ。会社の手続きの話とかしてて「みんないるから大事だからだよ」と。夫は「いつもありがとう」と。

そして車椅子に乗ったのかな。脚も浮腫んでいて洗面器で温めてもらっていた。とにかく辛そうだった。そして「肩揉んで」と言われて揉んだけど多分上手くできなくて途中で止めた。夫が車椅子に座って私が後ろにいてしばらくぼーっとしてた。しばらくすると介護保険の調査員がやってきた。少し話していたら夫が手振りとともに「掛けてください」と立っている調査員の後ろにある椅子に座って下さいと言ったのだ。自分が大変な状況なのにそんな気遣いが出来るのか。驚いた。私なら出来ない、そんなことすら思い付かない。私が言うべきだったのかもしれない。

調査員の質問に答えたり看護師さんが答えたりもしていた。調査が終わってから病院の地域連携室の方と相談、さらに帰りに区役所に必要書類をもらいに行く予定だったので、夫に「じゃあ行ってくるね!また会いに来るからね!」と元気に言った。握手した。部屋に入ってからずっと元気に話さなきゃとふり絞って出した言葉でした。夫は「急がなくていいからね、気を付けてね」と。心配性の夫らしい声かけ。看護師さんからは「奥さんに優しいですね〜(笑)」なんて言われててね。部屋を出た瞬間、私は泣き崩れてしまった。部屋の中で泣かなくて良かった。我慢できた。一緒に付き添ってくれていた看護師さんが優しく声をかけてくれた。そして気を遣って普段使用しない別の通路で案内してくれた。これが夫と話した最期の会話。

ここまで思い出して書いてたんだけどね、通勤中の電車で。人目気にせずぼろ泣きながら思い出して書いたよ。夫は自分がものすごく辛いのに人を気遣える素晴らしい人だったってことです。すごいよ、夫。本当に尊敬している。

同情してほしいとかそういうことではありません。これはあくまでも記録です。この話はまた後日追記したりするかも。

明日は命日。涙が止まらん。娘がとなりで「おかーしゃーん」って寝言言ってる(笑)

2歳8ヶ月の節分


節分の日は娘の保育園でも豆まきをしました。1歳クラスで新聞紙を少し大きめに丸めたものを豆代わりに作り鬼に投げるというものでした。昨年は鬼が出てきても?って感じだったようでしたが、今年は鬼(もちろん先生)が入ってきたら怖かったようで泣いて先生の元へ行き、そして豆は投げない!と宣言したとのことでした。先生に話を聞いた時私は笑ってしまいました(笑)日々成長を見せてくれる娘ですが、まだこういう可愛いところがあるんだなぁと。自転車で帰る時に娘が「いえかえらない」と。私が「外にいたら鬼さん来るかもしれないよ?(いじわる)」と言ったら「いえかえる」と、まぁこれの繰り返しなんですけどね。イヤイヤが多いけど娘は可愛い。お風呂上がりにいつもパックをしているのですが、その日は娘がイヤイヤ泣きを始めてどうしたかと聞くと私の顔を指差し「おかあしゃんじゃない!」と。そうか、パックが鬼に見えたかと。しばらく鬼関係は嫌がるかな。

懐メロと娘とメジロ


最近女性ボーカリストの歌を聴きながら通勤をしています。My Little Loverさん、宇多田ヒカルさん、椎名林檎さん、松任谷由実さん。ほぼ懐メロなのでノリノリで早歩きが出来ます。今朝は歩いている通路の隣の花壇にメジロが飛んできました。きれいな黄緑色で可愛いメジロを近くで見れてラッキーでした。今朝はイヤイヤの娘を保育園へ連れて行き「せんせいやだっ!」と言いつつも抱っこされてニヤッ。私ともきちんとバイバイ出来ました。何でもかんでもイヤイヤな時期だけど可愛い娘に育っています。