夫の命日


昨日は気のいい花屋さんでスイトピーを購入し、遺影の横に飾りました。なんでしょうね、朝も夕方も夜も泣いて泣きすぎて頭が痛くて気持ち悪くてなかなか寝付けなかったけど、頭痛役も飲みいつの間にかすーっと寝れました。良かった。
 
今日は夫の命日でした。
1年前の今日の事はよく覚えていません。その日になんとなく携帯電話の着信音を娘が好きな幼児番組で流れていた歌に設定していました。夜中に病院らしき番号から電話がありドキッとしたけどその歌で少し気持ちが紛れました。意識がなくなってきているというような内容の電話でした。急いで大泣きする娘を抱っこし母と3人でタクシーで病院へ向かい、お義姉さんと合流。これが最期になるかもしれません、でもコロナ禍なので1人5分しか会えませんと。1人ずつ病室へ入って話す。終わったら帰される。こんな大事な時でも一緒にいることも出来ないのかよと。仕方ないからまたタクシーで帰宅し眠りについたところで明け方にまた病院から電話があり最期を見届けにまた娘を起こして母と3人でタクシーで病院へ行き、またお義姉さんと合流。大勢ではダメと言われ私と娘二人で最期を見届けました。涙は出ませんでした。悲しかったけれどこれが現実なのか?でも現実はこれから何をしていいか分からない大変であろう事をたくさんやらないといけないというプレッシャーもあったような気がします。それから荷物をまとめたり死亡届をもらったり、最後は霊安室に行きました。霊安室で宙を見上げて「どこにいるの?」と言ったりしてました。だってあの夫のことだから近くにいるでしょ?みたいな(笑)自分がしっかりしなくてはいけない、そんな気持ちが強かったかな。それから夫のことはお義姉さんにお任せし一緒に実家に帰ってもらい、私は娘と母と一緒に荷物を持って帰宅。その後のことははっきりは覚えていません。娘を寝かしつけたり区役所に相談に行ったり友人達に連絡をしたり、保育園に行ったり。朝から大雨だったのに夕方には晴れて虹が出ていたことははっきり覚えてます。そんな1日でした。

コロナ禍なので通勤している私と保育園に通っている娘が義父母にうつしてしまう可能性もあったので一周忌の法要は先々週に義父母とお義姉さんにお願いし無事終えました。ありがとうございます。

今日は仕事は休みました。本当ならお墓参りに行ったりゆっくり過ごすはずでしたが、色々と予定を入れてしまいまして。朝から娘の歯医者、壊れたエアコン修理(この話はまた後日)、私の歯医者と慢性上咽頭炎の治療(内視鏡)。2台あるエアコンを後日新しいものに交換することになりあれこれ片付けをしていました。これが終わらない、片付けが苦手な私には手に負えない、けどやらないといけない。そんなこんなで1日が終わりました。そうそう、娘の歯医者が終わってそのまま保育園に行ったのですがイヤイヤの娘は「きょうはほいくえんいかないよ?」と言い始めてさらには「せんせいいやだ、だいきらい、〇〇くん(大好きなお友達)だいきらい」と自転車で大騒ぎ。保育園に到着して抱っこでお部屋の前まで連れて行ったらお友達がたくさん。娘が嬉しそうな顔をして目が輝いているのが分かりました。いつも朝早いからあまりお友達いないもんね。お部屋から「〇〇ちゃん(娘の名前)がきたー!〇〇ちゃんのママ!」と3人のお友達が迎えに来てくれました。嬉しいね、良かったね。娘にとって保育園は無くてはならない大事な場所だと再認識しました。娘はどんどん成長しております。今後お父さんのことをどうやって伝えようかということも考えなくてはいけない。

この1年があっという間だったのか何なのか分かりません。家族や友人や同僚たちがいつも助けてくれたからここまでやってこれたと思っています。お供物、お花、メッセージ、お手紙、娘にアンパンマングッズのプレゼントして下さったりと今日の事を覚えてて下さる方々がたくさんいていい供養になっていると思います。ありがとうございます。本当に感謝の1年でした。これからもたくさん頼って迷惑を掛けて行く予定ですので、今後とも娘と私をよろしくお願いいたします。

たくさん泣いてしまったけれど、お義姉さんから「弟は泣いているよりも笑っていてほしいと思ってるよ」と。確かに夫なら絶対にそう言うはずです。久しぶりに夫とのメッセージのやりとりを見直したら朝から「今日も元気に楽しく過ごそう」というような内容を見つけました。そうだよ、そういう事を言ってくれる人だよ。夫は亡くなっても私の支えになってくれるているのだ。また明日から笑顔で楽しく過ごそう。そうしよう。

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