お母さんがいるから大丈夫!


娘が不安そうなときや体調が悪くて泣いているとき必ず「お母さんがいるから大丈夫!」と娘に伝えます。まぁお母さんしかいないんだけどね。その言葉で娘を安心させたいと思いながらも自分自身を奮い立たせている方が大きいのかもしれない。

鼻水と延長保育と写真展


先週の木曜日、朝から娘の鼻水がひどい。発熱も咳なく元気なので保育園へ。お迎えに行ったら鼻をかみすぎて真っ赤になっている。かかりつけの小児科はお休みだしまだ開いている近所の小児科に滑り込む。鼻水のお薬と鼻の周りの炎症をとるお薬をもらった。とりあえず安心。家に帰っても「はなみず」「はなみず」と鼻水を拭けと言われている。家事をしているとわざわざ私のところまでやってきて「はなみず」という。もう鼻水拭き係なのよ。

金曜日はチームのメンバーがお休みで1人で3人分の仕事をした。忙しいのを見かねて別のチームのメンバーが手伝ってくれてありがたかった。結局終わらず時短で帰れそうになかったので保育園は延長することにした。喉の治療はキャンセル。本来の就業時間ぴったりにキンコンダッシュ。延長の時間には間に合った。娘がひも通しをしたネックレスを見せてくれた。手先を使う遊びは長い時間集中するのだという。ひも通し、家で作ろうかなと。廊下で別の先生と会いました。娘は延長で捕食のおにぎりを食べて元気になり帰らないで廊下で遊び回る娘を抱っこしてくれる。担任の先生ではないんだけど、いつも娘を抱っこして「可愛いね、抱っこすると癒やされる〜。いつまで抱っこさせてくれるかなぁ?(笑)」なんて言って下さる。嬉しいね、ありがたいね。先生とゆっくり話す時間もないんだけどこの時は色々話して私もそんな時間に癒やされるのですよ。本当にこの保育園に入園できて良かった。

土曜日はお休み。待ちに待った写真仲間の写真展へ行く日だ。前々から楽しみにしていた予定。朝はゆっくり寝て準備。娘と2人で両国まで行く。久しぶりの遠出なのだよ、これ。ドキドキしながら電車に乗る。無事駅に到着。すぐに近くのお店で焼き鳥が売ってるかチェック。最後の一箱をゲット。美味しんだよね、国技館の焼き鳥。夫と一緒に国技館でプロレス観戦する時によく買って食べた想い出の品でもある。写真仲間に到着した旨を連絡していざギャラリーへ。何年ぶりに会っただろうか、友人は元気そうで嬉しかった。少し話して一緒にランチへ。せっかくの両国なのでちゃんこ鍋と深川めしを食べることにした。久しぶりに会い積もる話をする。娘は食欲旺盛でちゃんこ鍋の黒豚を全て食べ、深川めしも半分食べた。母ちゃん肉食べれず(笑)でもお野菜も美味しかったわよ。食べ終わってから再びギャラリーへ。娘はご飯を食べ元気になったので暴れまくる。もうゆっくり見るなんて出来なかったね。大騒ぎして申し訳なかった。やはり写真展はいいな。いつかまた私もやりたいと思えた日だった。だからブログもなるべくアップするようにしている。

日曜日は在宅で休日出勤。

月曜日は電車に乗って近場の公園でお弁当を買ってピクニック。お外で食べるご飯の美味しいこと。娘は泥だらけになりどんぐり拾いに夢中になってた。私は少し写真を撮った。なかなかハードな日々でした。今週はどんな日々になるかな。

やってはいけないこと


切ない音楽を聴いて夫を思い出して大泣きながら通勤したことも多々あるんですけどね、今でもたまにあるんだけどそんな時によく思い出す夫の言葉。「人通りが多い場所で落ち込んだ気持ちでは歩いてはいけないよ」と。たくさんの人々が行き交う場所で落ち込んだ気持ちで歩いているとへんなものが憑いてきちゃうんだよと。ほほう。納得。花火大会やライブ会場など人が多くて集まる場所には人以外にも色んなものが集まるというのは聞いたことがある。だからへんなものがいてもおかしくないよね。うんうん。寂しくて涙が出てしまう時はどうにも止められないけど、「今は少し寂しくなってるけど私は元気なんだからね!」と心から悲しくならないように気を付けているのです。

遅刻寸前で再会


今朝は娘の体調の見極めに時間がかかってしまい遅刻寸前の電車に乗り込みました。とある乗り換え駅で見覚えのある写真仲間の顔、といってもマスクはしていてその人なのか?と思いつつ通り過ぎたんだけどやはり気になる。うーん、思い切ってメッセージしたら大当たり!すぐに戻り「久しぶりー!」なんてキャッキャはしゃいでしまった。ほんの数分だけだったけど電車の中で近況報告しすぐにバイバイ。その後走って少し余裕で会社に到着して慌ただしい朝だったけど、写真仲間に再会できて嬉しかったのよ。写真教室の仲間はみんな仲が良くてみんなでご飯を食べに行ったり写真展やったりりんご狩りに行ったり旅行に行ったり本当にいい仲間なのよ。このご時世だし、会うにもなかなか会えないけどね。今でも写真はちょこちょこ撮ってはいるけど、こうやって再会して色々思い出すとやる気も出てくるってもんよね。楽しい時間は作らないといけないよね。写真は今年撮った梅の写真なんだけど、5〜6羽くらいかな?メジロが蜜を吸っていたのよ。

50歳と夫に会える場所


夫は1月であの世で50歳になった(いや、ちょっと違うでしょ?ってつっこみは置いておいてね)。新日本プロレスやモスバーガーも50歳。大好きな人達が50歳を迎えている。
この前ちょっと寂しくなって夫のブログを読み返したのよ。夫はこの世にはもういないけど、そこには夫が元気に生きてるのよ。不思議だね、面白いね。読んでいて私も元気になったよ。ブログは夫に会える場所。

夫関連の内容を立て続けに書いているので「大丈夫?」と心配される方もいらっしゃるかもしれませんが、私は毎日元気に育児に仕事に追われております。ご安心下さい。

夫からの伝言


2月11日に停電とともにエアコン2台と冷蔵庫が壊れてしまった。電力会社に確認に来てもらったところエアコンの漏電が原因。管理会社に連絡してエアコンの状況確認の手配をしてもらった。後日確認してもらいそして新しいエアコンに交換することになった。1週間弱寒くなるところだったがママ友がヒーターを貸してくれて助かった。冷蔵庫は16〜18年使用していたようでいつ壊れてもおかしくなかった。おそらく停電でいきなり電源が切れて壊れてしまった模様。翌日土曜日は仕事を休み冷蔵庫を購入と翌日手配に間に合った。そして月末にはマンション内の色々なものの交換工事もあった。

夫の命日前は気持ちがグダグダすることが多かったけど、もうそうも言っていられない事態が次々と起こったのだ。今まで家族や親しい友人しか家には入ったことがないのに外部の人がこんな短期間でやってくることってあるの?と。

そう、そして思ったの。夫が亡くなって1年間はなんとか毎日を過ごすこと、やらなくてもよさそうなことや出来ないことは後回しにしてきた。停滞してたよね。でももう1年経ったんだからそろそろ動き出したらどうかな?片付けをしたり荷物を整理したり今までやってこなかったことに目を向けてみたらどう?って言われているみたいな気がするの。もちろん焦らなくていいよって。「もう1年」なのか「まだ1年」なのかそのへんは正直よく分からない。でもそろそろ動き出さないと、とあの世から言われてる気がするんです、いや言ってるねこれは。少しずつ動いていこうと始めていこうと思ってる。

二次感染から回復


娘が感染性胃腸炎になってから4日後二次感染してしまった私。気を付けていたのにも関わらず感染した。初っ端素手で処理していたのも良くなかったのかもしれないけど。嘔吐処理はビニール手袋って分かってたけど咄嗟の出来事だから難しかったね。きついよねぇ、胃腸炎て。娘はすやすや眠り一人心細い夜、悪寒で震えて胃がむかついて痛くて眠れない。アイスノンをしたけどダメだった。とりあえず今イチオシのYou Tubeエ○ちゃんねるを観て気を紛らわす。最後にトイレに行って少しスッキリし寝れたのが朝の6時。娘が回復中だったのが良かったのか、もう自分の体調で精一杯で昼間は娘と1日テレビを観ながらだらだらごろごろ。娘を連れて病院には行けないし今回はどうにかなるだろうと断念。食べ物を見ると「うっ···」となった。つわりみたいだった。

そんなこんなでも娘も私も良くなり昨日は公園に遊びに行けるくらい元気になった。おかげ様で良くなりました。一週間も家にいたから体は少し鈍ってるよね。まだ少し胃が変な感じもするけど大丈夫。今日から娘はやっと保育園へ、私も出勤している。治癒力すごいね。ありがとう。さてどれだけ仕事が溜まっているか、ドキドキしながら通勤中です。

今年の梅


2月は停電して、エアコンが漏電で使えなくなって、寒くなってママ友がヒーターを家まで届けてくれて、停電と一緒に冷蔵庫も壊れて買いに行って、エアコン交換工事して、娘が濃厚接触者になったり。3月は娘が初めて感染性胃腸炎になって大惨事になって今落ち着いてきて家でお休みをしています。そして今再び娘が濃厚接触者になったと保育園から連絡が来ました。また後日詳しくブログに書きたいと思います。まずは梅の写真をアップしたくて。先日娘と母と一緒に梅園を散歩しました。もうね、写真は久しぶりでね。本当に写真を撮るのが楽しくて仕方なかったんですよ。後ろに銀杏の木が写り込んでるけどそれもまたいいのかなと。

夫の命日


昨日は気のいい花屋さんでスイトピーを購入し、遺影の横に飾りました。なんでしょうね、朝も夕方も夜も泣いて泣きすぎて頭が痛くて気持ち悪くてなかなか寝付けなかったけど、頭痛役も飲みいつの間にかすーっと寝れました。良かった。
 
今日は夫の命日でした。
1年前の今日の事はよく覚えていません。その日になんとなく携帯電話の着信音を娘が好きな幼児番組で流れていた歌に設定していました。夜中に病院らしき番号から電話がありドキッとしたけどその歌で少し気持ちが紛れました。意識がなくなってきているというような内容の電話でした。急いで大泣きする娘を抱っこし母と3人でタクシーで病院へ向かい、お義姉さんと合流。これが最期になるかもしれません、でもコロナ禍なので1人5分しか会えませんと。1人ずつ病室へ入って話す。終わったら帰される。こんな大事な時でも一緒にいることも出来ないのかよと。仕方ないからまたタクシーで帰宅し眠りについたところで明け方にまた病院から電話があり最期を見届けにまた娘を起こして母と3人でタクシーで病院へ行き、またお義姉さんと合流。大勢ではダメと言われ私と娘二人で最期を見届けました。涙は出ませんでした。悲しかったけれどこれが現実なのか?でも現実はこれから何をしていいか分からない大変であろう事をたくさんやらないといけないというプレッシャーもあったような気がします。それから荷物をまとめたり死亡届をもらったり、最後は霊安室に行きました。霊安室で宙を見上げて「どこにいるの?」と言ったりしてました。だってあの夫のことだから近くにいるでしょ?みたいな(笑)自分がしっかりしなくてはいけない、そんな気持ちが強かったかな。それから夫のことはお義姉さんにお任せし一緒に実家に帰ってもらい、私は娘と母と一緒に荷物を持って帰宅。その後のことははっきりは覚えていません。娘を寝かしつけたり区役所に相談に行ったり友人達に連絡をしたり、保育園に行ったり。朝から大雨だったのに夕方には晴れて虹が出ていたことははっきり覚えてます。そんな1日でした。

コロナ禍なので通勤している私と保育園に通っている娘が義父母にうつしてしまう可能性もあったので一周忌の法要は先々週に義父母とお義姉さんにお願いし無事終えました。ありがとうございます。

今日は仕事は休みました。本当ならお墓参りに行ったりゆっくり過ごすはずでしたが、色々と予定を入れてしまいまして。朝から娘の歯医者、壊れたエアコン修理(この話はまた後日)、私の歯医者と慢性上咽頭炎の治療(内視鏡)。2台あるエアコンを後日新しいものに交換することになりあれこれ片付けをしていました。これが終わらない、片付けが苦手な私には手に負えない、けどやらないといけない。そんなこんなで1日が終わりました。そうそう、娘の歯医者が終わってそのまま保育園に行ったのですがイヤイヤの娘は「きょうはほいくえんいかないよ?」と言い始めてさらには「せんせいいやだ、だいきらい、〇〇くん(大好きなお友達)だいきらい」と自転車で大騒ぎ。保育園に到着して抱っこでお部屋の前まで連れて行ったらお友達がたくさん。娘が嬉しそうな顔をして目が輝いているのが分かりました。いつも朝早いからあまりお友達いないもんね。お部屋から「〇〇ちゃん(娘の名前)がきたー!〇〇ちゃんのママ!」と3人のお友達が迎えに来てくれました。嬉しいね、良かったね。娘にとって保育園は無くてはならない大事な場所だと再認識しました。娘はどんどん成長しております。今後お父さんのことをどうやって伝えようかということも考えなくてはいけない。

この1年があっという間だったのか何なのか分かりません。家族や友人や同僚たちがいつも助けてくれたからここまでやってこれたと思っています。お供物、お花、メッセージ、お手紙、娘にアンパンマングッズのプレゼントして下さったりと今日の事を覚えてて下さる方々がたくさんいていい供養になっていると思います。ありがとうございます。本当に感謝の1年でした。これからもたくさん頼って迷惑を掛けて行く予定ですので、今後とも娘と私をよろしくお願いいたします。

たくさん泣いてしまったけれど、お義姉さんから「弟は泣いているよりも笑っていてほしいと思ってるよ」と。確かに夫なら絶対にそう言うはずです。久しぶりに夫とのメッセージのやりとりを見直したら朝から「今日も元気に楽しく過ごそう」というような内容を見つけました。そうだよ、そういう事を言ってくれる人だよ。夫は亡くなっても私の支えになってくれるているのだ。また明日から笑顔で楽しく過ごそう。そうしよう。

夫のこと


昨年の2月12日のこと。午後半休を取って夫が入院している病院へ行った。その週は役所に介護保険の申請に行ったり、夫が青森で飲んだ搾りたてのりんごジュースが飲みたいと言っていたので果汁100%のジュースを大量に買っていて「買いすぎだ」というような顔をされていたりした。確かに重たかった。やりすぎた。病院にはコロナ感染者が増えているから来ないでくれと言われていた。そんな中、介護保険申請の調査は区役所の気遣いで病院に許可を得て同席させてもらえることになった。それが2月12日(金)だった。

病院へ行く時は夫に会える嬉しい気持ちがある。行くたびに帰りは泣きながら帰ることが増えてきた。病院に到着し部屋の外で待っていたらドアが空いていた。夫がいたけどなんというか歩くのも大変そうで。しばらく外から見ていた。看護師さんが話しかけてきて夫の体調を説明してくれた。日に日に悪くなっていることは夫を見た瞬間理解した。看護師さんは少し涙目だった。

部屋に入って夫はベッドに横になっていた。夫が「見てビックリしたでしょ?」って。私は「友人に77歳まで生きるよ、って言われたでしょ?」と伝えるのが精一杯だった。

必要な話と持ち帰る荷物の話をした。話すことも不自由なので本当に最低限だ。会社の手続きの話とかしてて「みんないるから大事だからだよ」と。夫は「いつもありがとう」と。

そして車椅子に乗ったのかな。脚も浮腫んでいて洗面器で温めてもらっていた。とにかく辛そうだった。そして「肩揉んで」と言われて揉んだけど多分上手くできなくて途中で止めた。夫が車椅子に座って私が後ろにいてしばらくぼーっとしてた。しばらくすると介護保険の調査員がやってきた。少し話していたら夫が手振りとともに「掛けてください」と立っている調査員の後ろにある椅子に座って下さいと言ったのだ。自分が大変な状況なのにそんな気遣いが出来るのか。驚いた。私なら出来ない、そんなことすら思い付かない。私が言うべきだったのかもしれない。

調査員の質問に答えたり看護師さんが答えたりもしていた。調査が終わってから病院の地域連携室の方と相談、さらに帰りに区役所に必要書類をもらいに行く予定だったので、夫に「じゃあ行ってくるね!また会いに来るからね!」と元気に言った。握手した。部屋に入ってからずっと元気に話さなきゃとふり絞って出した言葉でした。夫は「急がなくていいからね、気を付けてね」と。心配性の夫らしい声かけ。看護師さんからは「奥さんに優しいですね〜(笑)」なんて言われててね。部屋を出た瞬間、私は泣き崩れてしまった。部屋の中で泣かなくて良かった。我慢できた。一緒に付き添ってくれていた看護師さんが優しく声をかけてくれた。そして気を遣って普段使用しない別の通路で案内してくれた。これが夫と話した最期の会話。

ここまで思い出して書いてたんだけどね、通勤中の電車で。人目気にせずぼろ泣きながら思い出して書いたよ。夫は自分がものすごく辛いのに人を気遣える素晴らしい人だったってことです。すごいよ、夫。本当に尊敬している。

同情してほしいとかそういうことではありません。これはあくまでも記録です。この話はまた後日追記したりするかも。

明日は命日。涙が止まらん。娘がとなりで「おかーしゃーん」って寝言言ってる(笑)